伊深まちづくり協議会は、住みよく、うるおいのあるまちづくりをめざし、住民主体の活動を組織化、支援しています。

地域の動き/1208-09

【予告】10.21 伊深小学校ふれあい参観日のご案内

 10月21日(日)、伊深小学校で”ふれあい参観日”が行われます。ふれあい参観日は、祖父母、保護者の皆様だけでなく、地域の方も自由に参観できます。

 今回は、授業参観後に、ふれあいタイムとして、加茂高等学校吹奏楽部の出張コンサートがあります。一生懸命に演奏する高校生の姿に、きっと子どもたちは感動や憧れを覚えるのではないでしょうか。
 地域のみなさんも、子どもたちと一緒に生の演奏を楽しんでみませんか。
 大勢の高校生が来てくれます。一人でも多くの方に聴いていただけたら嬉しいです。
 この機会に、ぜひ伊深小学校へお出かけください。

日程

9.16 伊深町敬老会が盛大に開かれました。

 9月16日(日)、伊深小学校体育館にて、伊深町敬老会が開かれました。
 現在、伊深町には75歳以上の方が210名いらっしゃいます。そのうち109名の方の参加がありました。参加率が50パーセントもあるのは美濃加茂市の中では伊深町だけだと市長さんがおしゃっていました。それは、伊深町の高齢者の皆さんが、健康で元気にお過ごしだという証ではないでしょうか。
 皆様のますますのご健康をお祈りいたします。

来賓挨拶
来賓の方々からお祝いの言葉をいただきました。

歓談
美味しいごちそうに話もはずみます。

保育園の子どもたち 2年生
かわいい子どもたちの演技に目を細め・・・

プレゼント お手紙
子どもたちからのプレゼントに笑みがこぼれます。

2012.9 敬老の日特集


伊深のきんさん・ぎんさんは健在 !!

 今年は9月17日(月)が『敬老の日』です。この日を迎えられるご高齢者のみなさま、おめでとうございます。永い人生、一言では言い尽くせないほどの喜びや悲しみもあったのではないでしょうか。皆様のますますのご長寿をお祈り申し上げます。

 さて、9月1日現在、伊深には90歳以上の方が、19人おられます。(うち男性4人、女性15人)
 このうち最高齢は上切の井上なみさん、同じく河村あきさんのお二人(99歳 50音順)で、なんと生年月日は全く同じ11月18日、あと2月もするとそろって100歳を迎えられます。

なみさん    あきさん
     井上なみさん              河村あきさん


 遠く離れた地で同じ日に生まれた二人が伊深の同じ部落に嫁ぎ、今、ともにめでたく100歳の誕生日を迎えられようとしていることに不思議な因縁を感じますが、今なおご健在で過ごされていることを、伊深の住民としてともにお祝いしたいと思います。

 そこで、『敬老の日』に先立ち、お二人を『伊深のきんさん・ぎんさん』として紹介します。

 戦争、夫との死別など厳しい時代を乗り越えてこられたお二人ですが、いくつかのアンケートと写真を通して伝わってくるのは、‥‥。

(今回、ご本人・ご家族の了解を得て貴重なお写真・お手紙等を紹介させていただきます。また、取材に当たって佐野綾目さんの全面的なご協力をいただきました。併せて厚くお礼申し上げます)



井上 なみさん
(上切、1912(大正元)年11月18日生まれ 99歳)

なみさん

生まれたところ  滋賀県栗田郡北山田村(現 草津市)
伊深へ来た年  1928(昭和3)年の寒いとき、伊深村に嫁入り
子ども達の数  子ども5人(女、うち2人は死亡)、孫9人、ひ孫19人、やしゃご17人
今までで一番楽しかったこと  「ななくさ会」
今まで一番悲しかったこと  夫が戦死したこと(1942(昭和17)年3.10 )
今一番楽しいこと  子や孫、ひ孫が来てくれたり、祝ってくれたりすること
特技  般若心経を初めから終わりまで、間違えずに唱えられること

【思い出の写真】

金メダル

ゲートボールで優勝して金メダルをもらったとき(自宅で)

囲む会
▲子や孫たちとともに

夫

戦死した夫繁喜さんの写真を持つなみさん

届かなかった写真
▲長女ちづかさん(左)、次女つゆみさん(右)、五女まち子さん(手前)と共に写真館で写した写真。この写真は戦地へ送られたが、戦死した夫の目にふれることはなく伊深へ返送されてきた。


【なみさん91歳のとき 孫代表から送られたメッセージ】

 なみおばあちゃんへ

 今日ここに、おばあちゃんを囲む会を開くことができたこと、そして出席できたこと大変幸せに思います。
 医学が発達し、生活環境が変わって人間の寿命が伸びたと言っても、おばあちゃんのように91歳という年齢をこんなにも元気に迎えることのできる人もそうそうないことです。
 これは私たちにとって誇りでありうれしいことです。
 でもその反面、長い人生を歩いてくればきっと大変できびしい時代もあったことでしょうネ。だからこそ、おだやかですこやかな人生を送ってもらえることを願います。
 そして私達親族の先頭に立って、まずは当面の目標100歳をめざしてがんばってもらいますヨ。長生きの遺伝子をひきついでいる私達にとってもおばあちゃんに続けとがんばれます。
 まだ91歳、やっと92歳になるという気持ちで、元気で健康で長生きして下さいネ。




河村 あきさん
(上切、1912(大正元)年11月18日生まれ 99歳)

あきさん

生まれたところ  武儀郡下之保村上野(現 関市下之保)
伊深へ来た年  1934(昭和9年)4月、伊深村に嫁入り。
子ども達の数  子ども5人(2男3女)、孫9人、ひ孫8人
今までで一番楽しかったこと  「ななくさ会」
今まで一番悲しかったこと  夫が亡くなったこと。一度もけんかをしたことがない、仏様のような夫だった。
今一番楽しいこと  デイサービスで、ゲームをしたり、カラオケで民謡や童謡に合わせて口や体の体操をしたりすること。
特技  新聞紙を使ってごみ入れの袋を作ること。童謡などの歌詞を終わりまでしっかり覚えている。

【思い出の写真】

雪かき

雪かきの朝。左奥があきさん。右は佐野えんねさん。手前は遠山いとさん。

部落の人たち
▲部落の人達とともに。左から3番目があきさん。

ななくさ会

ななくさ会の旅行。真ん中があきさん。右から3番目がななくさ会を主宰していた佐野一彦さん。

ななくさ会

これもななくさ会の旅行。後列左から4番目があきさん。

寺洞の風景
▲河村さんが若かったころの自宅付近の風景




 図らずも、一番楽しかったことは ”ななくさ会”、一番悲しかったことは ”夫を亡くしたこと” とお二人とも同じ答えでした。ここに出てくる「ななくさ会」とはどんな会だったのか、事情を一番知る佐野綾目さんにお尋ねしました。

「ななくさ会」について
                        (佐野綾目さん 談)
 この会は、父である佐野一彦(※昭和20年の暮れに神戸から伊深に移住)が主宰していたものですが、はじめは、青年団を退団した人たちが「もう少し何か学びたい」と言ってきたのに答えたものと思われます。当時の卜雲寺の大心和尚(=のち岐阜市の瑞龍寺住職三井大心老師)と一彦とが卜雲寺の本堂などで夜、集まってきた若者に何か話したり、話を聞いたりしていました。

 昭和29年の一彦の日記にこんなことが書かれています。
『昭和29年9月16日 「ななくさ会」の若人と京都旅行(一泊二日)。長谷部勇、平田邦治、堀畑久雄、美濃輪京一、服田福太郎。
9月17日 嵯峨の法輪寺、野ノ宮、落柿舎、二尊院、釈迦堂、広沢の池、仁和寺、龍安寺から北野へ。「みなみな、くたびれにけり」。四条大宮で夕食を共にして、その後は甥の草野敏彦(※京都在住)に案内させて、新京極、寺町へ。』

 その後、中切、西切、寺洞などの女の人達も加わるようになり、年に6回くらい集まって楽しみました。正月には食事会、一彦作のなぞなぞ歌の福引付きでした(龍安寺をお借りすることもありました)。
 年に2回ほどの日帰り旅行は、お弁当持ちで汽車や電車を利用したもので、お宮やお寺、景色の良いところと、計画するのは一彦とえんねでしたが、えんねはほとんどついて行きませんでした。
 そのほかに、もしかするとこれが一番大切な行事だったと思いますが、佐野家へ来るお客さんで面白い話のできそうな人に頼んで、夜、龍安寺で「話」をしてもらうとか、一彦が撮ったスライドを観るとかの会もありました。藤田和三さんと遠山いとさんが連絡係でした。

 どうやら、「ななくさ会」は今でいうところの文化サークル、サロンのようなものであったらしく、楽しみの少ない時代であったからこそ、お二人の中で今なお一番楽しかった時間として鮮明に記憶されているようです。
 井上なみさんの特技が「般若心経」というお話は、若くして寡婦となられたなみさんが唱えられた回数やお気持ちを思うと、単なる特技というよりは自然に身についてしまったものと思え、少し胸が痛くなります。
 また、河村さんからお預かりした写真は「ななくさ会」のものが多く、毎回よほど楽しみにして出かけられたものとお察しします。
 
 お二人のますますのご長寿をお祈りします。

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