伊深まちづくり協議会は、住みよく、うるおいのあるまちづくりをめざし、住民主体の活動を組織化、支援しています。

禅徳寺

禅徳寺

禅徳寺

禅徳寺



 伊深小学校の東にあるお寺で宗派は臨済宗妙心寺派、正眼寺の四隣寺のひとつです。天文(1532~)年間に大仙祖吟が数十年修行し、その後、寛文8(1668)年には龍福寺第四世一秀玄廣和尚を勧請開山(かんじょうかいさん※)として、大仙山禅徳寺となりました。“開山様のジョリヌギバ”とも称せられます。

 えげんさんが京へ上られるとき、それまで大切にされていた「箱笈(はこおい=仏像を保管・運搬するための箱)と護持仏(ごじぶつ=釈迦三尊像)」をこの里に残して行かれましたが、その「箱笈と護持仏」は現在この寺の秘蔵仏として保管され、市の文化財にも指定(昭和54(1979)年)されています。

 歴史上の出来事として、伊深義民から約130年後の文化8(1811)年、第九代の佐藤美濃守信顕は「為濃州加茂郡伊深村陣屋代々之代官及惣百姓先祖代々有縁無縁一切諸精霊菩提」と刻んだ石地蔵を、字十王前(旧伊深村役場庁舎前付近)に建立、更に文政7(1824)年、先祖の法要を営んだ際、村民先祖供養の名の元に禅徳寺において施餓鬼を行い、義民の霊を弔った、とあります。この石地蔵は寺へ登る参道の入口東にあり、今も絶えることなく花が供えられています。

 また、字十王前には十王堂がありましたが、昭和26(1951)年、役場前周辺の整備に伴い、この寺の山門前西側に移設されました。

 本尊は座像の聖観世音菩薩で、近くは富加町加治田の「清水寺(第26番)」、同じく「龍福寺(第28番)」などとともに美濃西国三十三観音霊場のひとつ(第12番)として巡礼者の信仰を集めています。


※勧請開山(かんじょうかいさん):仏教における用法として、寺院を創始した僧侶自身が、師への尊崇の念から、自らではなく師を開山とすること。

十王堂  箱笈と護持仏
▲十王堂                   ▲箱笈と護持仏

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