天王用水取水口
天王用水取水口
天王用水取水口
伊深沖に広がる田んぼは市内でも有数の広さで、水利は東を流れる川浦川から取っていますが、江戸時代の初め、下流の羽生村(現富加町羽生)との間で水利を巡る争いが起こり、寛文9(1669)年、「伊深村が設置した新堰は取り壊し、今後新堰を作ってはならない」との裁定がなされたため、200年以上の長きにわたって伊深村は絶えず用水不足に悩まされてきました。
明治になり、この窮状を見かねて一計を案じたのが中町生まれの柴田長七で、彼は牛牧の川岸につき出た岩山の上流からトンネルを掘り用水を取り入れる計画を立てて村民に協力を求めましたが、当時の村民は夢物語として賛同しませんでした。
そこで彼は上古井村に住む大畑市太郎氏に測量と設計を依頼し、明治22(1889)年、私財を投じて独力で工事を開始しました。工事は難航し、途中中断をはさんで約6か月かかり完成しました。このトンネルの開通により伊深西南部の水田は水不足から救われることになったため、後に村は村費47円を贈って感謝の意を表したとのことです。一説によれば彼が投じた工事費は500円以上にのぼり、当時の村の年間税収額に近かったということですから、彼の功績は偉大であったというほかありません。
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