伊深まちづくり協議会は、住みよく、うるおいのあるまちづくりをめざし、住民主体の活動を組織化、支援しています。

もうやめてほしい。“安全・安心”の連語

もうやめてほしい。“安全・安心”の連語

 最近の新語やしゃべり方の中には納得できないものがいくつかありますが、私の中で最も違和感を覚えるのが “安全・安心”という言い方です。

 いつごろからこんな言い方が広がってきたのか、確たる資料はありませんが、私と同様の思いを持つ人の記録によれば、遅くとも7年前、当時の福田首相の国会での所信表明演説に多用されていたと言いますから、おそらく10年近くは使われてきたものと思われます。それがナウい(このことばはほとんど死語ですが)ような風潮が広がり、今ではすっかり定着したような感すらあります。

 そもそも、「安全」と「安心」は似たようなことばですが、意味も使い方も違っており、理屈っぽいと言われるのを承知で言えば、「安全」は主に安全を確保すべき側の客観的な面をとらえるのに対し、「安心」は受け手側の主観的な面をとらえることばではないでしょうか。これを「・(中点)」でつないで使ったときどういう意味になるのか、私にはさっぱりわかりません。使っている人でもはっきり答えられる人は少ないのではないでしょうか。

画像の説明

 しいて言えば左の写真のように『安全・安心のまち』というときは、「住民が安心できるような安全なまち」と言いたいのかもしれませんが、それは使い手の勝手な用法であって、聞き手にとっては押しつけがましい言い方というほかありません。
 
 特にこの用法は、ほかの新語が一部の個人間で使われるのと違い、組織的に使われているところに始末の悪さがあります。行政、企業、団体などが「めざすべきあり方」として、『安全・安心のまち』『食の安全・安心』『安全・安心の家づくり』などといった風に使う場面が多く、ある面便利なことばと考えられているのかもしれません。ここまでくると最近では使うのが当たり前とばかり、無批判、無節操に使う傾向が強まっていますが、へそ曲りな私には、『これだけ安全確保に努力しているのだからあなた方もこれで安心しなさい』といっているようにすら聞こえ、民間企業ならこれを宣伝文句として強調したがるところほど胡散臭く感じてしまいます。こんな感じ方をするのはごく少数派らしく、「考えすぎ」「めんどくさい」といわれそうですが、ネット検索では私と同様、この用法の不使用を訴える方も見つかり、その方の見識の高さ・鋭さに意を強くしたところです。

 この方は1935年生まれの某理学博士ですが、ことばの使い方にもっと敏感であるべき教育関係者やジャーナリストたちはどう感じているのか、聞いてみたいところです。
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 ついでに言えば、ほかにも最近の特に若者の気になる言い方として、「○○みたいな~」「○○じゃないですか」というのがありますが、これらに共通するのは、自分の意見ははぐらかしてはっきり言わないくせに、人には押しつけがましい言い方をしていることです。このことについては機会があればまた取り上げることにして、今回は「安全・安心」の用法にささやかな抵抗を試みてみました。ご意見があれば匿名でも構いませんのでお寄せくださるとありがたいです。

コメント

  • 安全・安心について

    こんにちわ。山之上まち協WEB担当の中山です。先日は相互リンクを張っていただいた上、丁寧な注釈までつけていただき感謝いたします。
    私も安全・安心を何気なく口にしていますが、この記事を読んで、なるほどと感じました。今思えばなにげに使えるということはこの言葉の持つ重さを大して意識していない。言い換えれば真摯にこれと向き合っていない。行動が伴っていない。と言うことでしょうか。言葉の重さ、活字の重さ、考えさせられました。ありがとうございました。


  • Re: 安全・安心について

    >>1 さっそくのコメントありがとうございます。この欄ではときどきこんなぼやきを書かせてもらおうと思っています。おひまがありましたらまたのぞいてみてください。サイト運営の方もなにかと大変かと思いますがお互いがんばりましょう。



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