伊深まちづくり協議会は、住みよく、うるおいのあるまちづくりをめざし、住民主体の活動を組織化、支援しています。

伊深の今と歴史

伊深の今と歴史

 住居表示上の「美濃加茂市伊深町」は昭和29年4月1日の美濃加茂市発足以前に加茂郡伊深村であった区域で、伊深小学校校区は、住居表示上の美濃加茂市伊深町の全部、山之上町の一部、蜂屋町の一部を含んでいます。

伊深の今

地勢

伊小

 伊深は美濃加茂市の北西部に位置し、東部は市内三和町、南東部は市内山之上町・蜂屋町、南部・西部は富加町、北西部は関市にそれぞれ隣接しています。
 また水系は長良川水系に属し、北から南へは大洞川(一級河川)が流れ、南部を東から西へ流れる川浦川(同)に最西部で合流し、更に下流で津保川、長良川に合流しています。

 ◆南北距離     約4.8km
 ◆東西距離     約3.6km
 ◆最も高いところ  標高約380m(大平山山頂)
 ◆最も低いところ  標高約80m(カトーメテック周辺)
 ◆伊深小学校校庭  標高102m

交通

 県道63号線(美濃加茂和良線)が南北に、県道97号線(富加七宗線)が東西に走り、南部で交差しています。これら2線はともに主要地方道となっています。

自治会

 2012年4月1日現在、以下の8つの自治会があります。

 上本郷、下本郷、関也、上切、大洞、糠洞、野地原、亀渕

統計でみる伊深

(※準備中)



伊深の歴史

伊深の略年表

行頭に●印があるのは詳しい解説があります。

西暦年号伊深の歴史  主なできごと
702大宝 2御野國加毛郡半布里戸籍
750天平
勝宝 2
美濃國司解
 武義郡揖可郷武義造営廬之賤・奴 豊麻呂
937承平 7和名類聚抄に武義郡揖可郷
1253建長 5近衛家領目録に揖深庄(荘園)
1263弘長 3吾妻鏡に春日部左衛門三郎泰実美濃國指(揖)深庄地頭職解任される
1336建武 3光厳上皇院宣、美濃國揖深庄
1330
1338
元徳 2
暦応元
無相大師関山慧玄
 美濃伊深の山里に隠棲
1375応安 8横蔵寺暦世高恩録(揖斐郡谷汲村)
 虫供養ここ武義郡揖深庄 如真寺
1376永和 2横蔵寺大般若写経奥書
 濃州武義郡揖深庄 勝妙寺
1384至徳元龍安寺梵鐘陰刻名 美濃國守護土岐康行寄進
 大日本國濃州武義郡揖深荘 碧雲山永安禅寺鴻鐘
1532
天文年間
初頭
土岐頼武地行宛行状に
 賀茂郡の内揖深とある
1557弘治 3廿屋白山神社棟札
 濃州賀茂郡揖深之内津々野村
1565永禄 8堂洞城の戦 城主岸勘解由討死
加治田城主佐藤紀伊守忠能
○関・加治田合戦 関城主長井隼人正道利
1567永禄10紀伊守伊深村に隠居 天正5年3月29日死去
1582天正10
ハ月中旬
第二代加治田城主斎藤新五本能寺の変で討死
○兼山・加治田合戦 兼山城主武蔵守長可
1589天正17太閤検地 秀吉の美濃検地
一高千三百八拾壹石壹斗八升 伊深村
1600慶長 5関ヶ原の戦
旗本伊深佐藤氏知行地
1610慶長15徳川家康公より拝領 加茂郡井深村之内
 佐藤駿河守堅忠  一、〇〇〇石
1617元和 3徳川秀忠公より拝領 美濃、摂津、大和、近江之内
 佐藤勘右衛門維成  二、一九〇石
1619元和 5伊深の一部尾張藩領となる
1624寛永元関山が隠棲した遺跡を訪れた江戸隄岳寺の僧錐翁慧勤は伊深に草庵を結ぶ
1632寛永 9諏訪神社棟札 加茂郡揖深村上切郷
1660万治 3僧大極唯一初祖山円成寺建立
1668寛文 8天王宮移転(高倉神社)
1669寛文 9初祖山円成寺を改め妙法山正眼寺
○伊深村が川浦川に新設した井堰に対し羽生村より訴えられ取りこわしを命じられる
1673寛文13正眼寺洪鐘鋳造 濃州路加茂郡伊深郷
1677延宝 5星宮神社棟札
○正眼寺境内に第二代領主佐藤駿河守成次公の了心院霊屋落成
1681延宝 9神明神社棟札 濃州賀茂郡揖深村佐藤勘右衛門信次建立
1682天和 2伊深義民
百姓代表が年貢の減免を幕府へ訴え出、裁決により農民三十二名が入牢、打首又は獄死した事件
1690元禄 3牛頭天王社改造棟札(高倉神社)
1730享保15龍安寺の鴻鐘出土
1742延享 4上切の薬師及び観音堂建立
1771明和 8伊深村に大雹が降り麦は収穫皆無同様となる
1783天明 3天明大飢饉はじまる(7年まで)
1798寛政10正眼寺境内龍王社建立(八大竜王)
1811文化 8領主石地蔵を建てる(円照の石地蔵)
1824文政 7第九代領主佐藤美濃守信顕公正眼寺に参拝来る
1826文政 9領主六字名号の碑建立(正眼寺大門)
1832天保 3天保の大飢饉はじまる(9年まで)
1861文久元六、七月夏日照り続き村では正眼寺禅徳寺に頼んで雨乞いの祈祷行う
○和宮太田宿本陣に宿泊(十月二六日)
二二日・二三日準備のため太田宿へ人足動員される
出役 二四日人足八八人馬八頭 二五日人足二五人
1867慶応 3王政復古
1871明治 4廃藩置県 岐阜県となる
1872〃 5各村の庄屋をやめて戸長をおく
1873〃 6伊深小学校の前身秀文義校、正眼寺境内見桃庵に創建された
1879〃 12郡村制をおく 太田に郡役所をおく
1884〃 17美濃加茂事件
 地租の軽減、諸税の撤廃、徴兵令廃止の訴願を川浦・伊深・加治田村の戸長役場に強要して農民多数が蜂起 山之上富士山に立てこもり暴動をおこした
1889〃 22天王用水トンネルを柴田長七堀削、貫通により約65町歩の水田に灌漑
1891〃 24濃尾大震災
 10月28日 総戸数206、全壊19、半壊24
1903〃 36伊深小学校新校舎できる
1904〃 37日露戦争おこる(38年終わる)
1920大正 9川浦川の発電所より電気が引かれ電灯がともる
1923〃 12関東大震災
1928昭和 3伊深~加茂野間に定期自動車走る
1930〃 5台風8号による連日の豪雨のため廿屋川・川浦川・津保川の洪水 三和・伊深村被害極めて甚大
1932〃 7伊深村稲熱病猛威を振るい被害甚大
一昨年の水害と合わせ国と県に救助請願
1937〃 12日華事変おこる
1941〃 16太平洋戦争おこる
1945〃 20ポツダム宣言を受諾
1952〃 27伊深土地改良区設立(28年2月工事着工)
 施行面積 田54町1反 畑14町5反
1954〃 29市制施行 美濃加茂市発足 伊深町となる

(この年表は故佐野一彦氏が調べられ、伊深連絡所に掲示されていたものを写し取ったものです)

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